卵巣嚢腫の手術をして、片方の卵巣を摘出した話~気づき編・後半~

 

どうも、アラフォー独身女のはんまゆです。

前回、卵巣嚢腫の手術&片方の卵巣摘出後、手術を通じて気づいたことをつづりましたが、そのつづきを書きます。

病気をして初めてわかること、痛感したことを3点書きました。

ご参考になれば幸いです。

 

自炊できるくらい、精神的&時間的ゆとりある生き方をすること

今まで、自炊をするのは、精神的&時間的にゆとりあるときだけでした。

でも、43歳にもなって、「料理するゆとりのないような生活をしている」ってどうなんだろうと…。

朝、通勤電車に飛び乗ったり、忙しいからと、昼時にパンをかじりながら仕事したりー。

静かな病院での入院生活中、また、退院後、のんびり料理や読書をした自宅療養中、常に早歩きで移動し、セカセカ働いていた自分を思い出しました。

 

働くことは好きです。

自分が必要とされ、誰かの、何かの役に立てることが好きです。

 

でも、入院初日、静かな病院のベッドについたとき、

「あ~、やっと解放された」

「ようやく落ち着ける」

と心底ホッとしました。

 

入院中も自宅療養中も

「早く仕事に戻りたい」

という気にはならず、むしろ

「これからも、落ち着いた生活をしていきたい」

という気持ちは変わりませんでした。

 

以前からオーバーワーク気味なので、仕事を抱え込みないよう気をつけていますが、昔から、頼んでものらりくらりとかわす人や、テコでも自分から動こうとしない年かさの人をうまく使う術がまだわかりません。

(うまいやり方知っている方がいたら、教えてほしいです、ほんと)

で、結局、自分がやってしまう、という悪循環でした。

 

でも、今回の入院を機に、自分のキャパシティーをきちんと考え、仕事は、自炊する余裕を持てるぐらいにとどめることにして、時にはきっぱり断ることにしました。

 

それに、入院して会社から離れてみて、今の職場ややっている仕事は、

「小走りしてでも早く行きたい」「早くやりたい」

と心から思えるものではないということにも気づきました。

・・・今後の身の振り方はさておき、心の声を大切に、自分のキャパシティーを超えない質量の仕事をすることにしました。

 

改めて感じる両親の存在のありがたさ

ありがたいことに、70代の両親は健在です。

入院初日と2日目の手術のときは埼玉の実家から来てくれました。

病気になると、柄にもなく、弱気になったり、心細くなったりします。

手術着を着て、看護師さんに連れられて手術室へ向かうときや、手術を終えてベッドで寝たまま病室に戻ったとき、自分を見守ってくれる人がいることが、心底ありがたく感じました。

友だちとか、家族ではない人にこういうときまで付き添ってもらうことはなかなかできないですしね・・・。

 

だれにも気を遣わず、自分のペースで過ごせる独身生活は自分の性に合っています。

 

ただ、将来また、病気で手術することになったとき、そばで見守ってくれる人がいなかったら、さすがに心細いんじゃないかなぁと。

両親がいつまで長生きしてくれるかはわかりませんが、夏休みや年末年始といった、一緒に過ごせる時間を一日一日もっと大事にしたいです。

 

 

独身だからこそ、より大切にしたい友だちのこと

私が入院&自宅療養すると伝えると、

「お見舞いに行くよー。日にち教えて!」

「自宅で休んでいる間、食べ物買っていくよ」

などと言ってくれる友だちの存在がありがたいと改めて実感しました。

 

結局、手術翌日は身動きができない状態だったし、手術4日目の昼には退院したので、お見舞いに来てもらう間もなかったのですが、そう言ってくれる友だちの存在が心強かったです。

 

子持ちの人から、

「独身で子どもがいないと、老後、世話してくれる人がいないから大変」

という言葉を聞いても、将来、AIを搭載した介護ロボットが発達するだろうから、お金さえあれば、自分の介護はどうとでもなる、と思っていました。

(老後の世話をあてにされる子どもがかわいそうとも思います)

 

確かに、体のケアはロボットにもできますが、お見舞いに来て話し相手になってくれる、といった心のケアは、ロボットじゃ無理だと実感しました。

 

今回、手術翌日は点滴をしたままで、尿道から管がつながれていてお手洗いにも行けない状態でした。

そのときふっと、

「年とって、こんな風に寝たきりになったうえ、連絡とったり、話し相手になってくれたりする人が誰もいなかったら・・・」

と想像して、さすがにキツイなと。

 

独身だからこそ、友だちはより大切にしないといけないし、この先、私のような独身で、入院する友だちがいたら、お見舞いでも、食べ物の調達でも、何かしてあげられる人間であろうと思いました。

 

・・・以上、卵巣嚢腫の気づき編・後半でした。

人間、痛い目にあうと、色々考えるものです…。

気づき編・前半とともに、反面教師にでもしてもらえれば幸いです。

 

次は、がらっと切り替えて、大好きな奈良一人旅の2019秋編を書きます。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

アラフォー独身女・はんまゆ

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